『うつくしいものの話をしよう。』
中3生の国語はこんな出だしから始まります。
長田弘さんの詩、『世界はうつくしいと』です。
光村図書の教科書を採択している学校(前橋だと群大附属中、中央中等以外)の中3生の保護者の方は気軽に読めるので、ぜひ読んでもらいたい詩です。
初めて読んだ時はハッとしましたし、何度か読み返してみても気づかされる点、考えさせられる点があります。
そして、思います。
「もっと、うつくしいものをうつくしいと言おう」と。
うつくしいものの話
ニュースを見れば、暗い話題ばかりです。
大人も子どもも、生きていれば辛いこと、悲しいこと、大変なことに出会わずにはいられません。
時には愚痴や悪口、批判を言いたくなることもあります。
しかし、そればかりだと息苦しい世界になってしまいます。
また、少し見方を変えれば、気づこうとすれば、うつくしいものは私たちの毎日にあるはずなんです。
たとえば、栄伸館は当然ながら、生徒が一人もいない状態から始まりました。
しかし、今は毎日、時間になると「こんばんは」と挨拶しながら何人もが塾に来てくれます。
そんな毎日は、ありふれているかもしれないけれど、確かにうつくしいのだと思います。
長田弘さん風に言えばこうなるでしょうか。
『うつくしいものをうつくしいと言おう。』
弱っていた花が水と太陽で力を取り戻していくさまはうつくしいと。
修学旅行から帰ってきて、「楽しかった」と語る子どもの笑顔はうつくしいと。
部活も勉強も、真剣に取り組む姿はうつくしいと。
自分のことより家族のことを考える人はうつくしいと。
出来ることを必死に探し、もがき成長する姿はうつくしいと。
本気で生きているからこそ時にあふれる涙はうつくしいと。
「あれはダメだ」「それは違う」
そんな否定だけがわたしたちの世界だろうか。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
未来なんて誰にも分からないのだから、世界はうつくしいと。
理想論かもしれないけれど
塾の仕事には「間違いを指摘すること」「おかしなところを注意する」ことも当然含まれます。
もちろんそれも大事なのですが、そればかりではいけないなと。
「うつくしい」という表現に限らず、「こういう嬉しい瞬間があった」だとか「大人は楽しいよ」だとかをためらわずに言うことも大事なのではないかと感じ、今回のブログを書くことにしました。
近年、生徒と話していると未来に対して明るい展望を持っている子どもが少ないように感じます。
人から話を聞いたり、本を読んだり、映像を見たりして推測しているだけですが、たとえば1950年代後半からの高度経済成長の時期には、多くの人が今と比べ、前向きな考え方をしていたはずです。
「日々を一生懸命生きれば明日はきっともっと良くなる」と。
保護者の方に「勉強しなさい」と言われて、素直に勉強した、という例はほとんど聞いたことがありません。
それよりも、周囲の人間が幸せそうに生きている様子を見せたり、日常の良いことを言葉にしたりする方が重要なのかもしれません。
とりあえず、私はちょっと意識してみようかなと思います。
今日で一週間の業務が終わり、そろそろ帰宅します。
えーと・・・・
「精一杯の仕事が終わり、戸締りをして、車に乗り込む前に見上げる夜空はうつくしい。」
個別指導塾 栄伸館塾長 小西啓太