AIやロボット等の新技術がニュースになることが増えましたね。
私も生徒と話題にすることがあります。
ただ個人的にはあまり騒ぎ過ぎず、冷静に対応してほしいものだなと思います。
手塚治虫の『火の鳥』の中ではAIが国家を統治している未来が描かれていて、3,40年前から考えていた人がいたわけです。
『鉄腕アトム』のように人の心をロボットが持ちうるかというテーマのテレビ番組で、「その可能性は十分にある」とAI研究者が答えていたのを見たのも10年くらい前だった気がします。
確かにイラストレーターや文筆業の方が解雇された、というニュースを聞くと他人事ではありませんし、つらい現実だなと感じますが、恐らくそういったことはどの時代にもあったわけで・・・
「人間が想像できることはいつか実現する」という考えが科学の世界にはあるようですが、その通りだなと思います。
漫画『ドラえもん』の中には現在のスマホのようなものが登場していますし、作品に登場するタケコプター等の秘密道具のようなものは名前や形こそ違えど、いずれ現実のものになるのではないでしょうか。
また人間の不老不死についても研究は現実にされているようで、人間の寿命が200歳や300歳、20歳から年をとらない、といったことも、もしかしたら現実になるかもしれません。
どう生きるか
『火の鳥』の中ではこんなエピソードも描かれています。
火の鳥の生き血を飲めば不老不死になれるため、みんな手に入れるため血眼になるわけですが、一度死亡し、未来の医療技術でよみがえった主人公はこう言い放ちます。
「火の鳥の生き血を求めなくたって、長生きはできるじゃないか。生き返ったぼくが証拠だ。
大事なのは『どれだけ生きるかではなく、どう生きるか』ですよ」と。
(記憶を頼りに書いています。セリフが多少異なりますがご了承ください。)
初めて読んだのは小学生高学年でしたが、この場面は衝撃的でしたね。
時代は変わります。
世の中が便利になり、それによって失われるものは確かにあるでしょう。
でも結局「人が人を愛する」だとか「人間は不完全だけど、だからこそ愛おしい」
だとかそういう根っこの部分は変わらないでしょうし、我々大人はそういう部分を大切にして、その背中を子どもに見せるのが重要ではないかと思います。
人の気持ち
国語を教えていて感じたこと、思ったことが今回のブログを書くきっかけです。
中学生、高校生は言います。
「数学みたいに答えが一つじゃないから国語は難しいんですよね」
「この時の〇〇の気持ち、みたいな問題が苦手です」
確かに。
大人の私だって、人の気持ちなんて簡単に分かるものではありません。
日常生活では失敗ばかりです。
でも思います。
「だからこそ考える意味、勉強する意味があるんじゃないか」と。
どんな未来が待っていても、人の気持ちを大事にできる人はきっと生きていけるはずです。
また、盲点かもしれませんが、新しい技術を生み出す人というのはもれなく勉強をがんばってきた人たちです。
土台が出来上がっていないのに新たなものを創り出す、ということは不可能なのです。
あらためて言います。
時代が変わっても、人間が学ぶことの価値、大切さは変わりません。
私はそう信じて、子どもたちに接していきます。
補足 新年度、ブログを更新していませんでした。
自らの怠惰を恥じるとともに、新年度の所信表明として
個別指導塾 栄伸館塾長 小西啓太